國立國會圖書館「著作者情報公開調査」に情報を送つてみた話

 最近殊にお世話になつてゐる國立國會圖書館だが、最近になつて「著作者情報 公開調査」といふものをサイト上で行つてゐることを知つた。

著作者情報公開調査-トップ

国立国会図書館では、資料をインターネット公開するために、著作者/著作権者に関する公開調査を実施しています。
公開調査により著作者の著作権保護期間満了であることが確認できた場合は、著作権保護期間満了としてインターネット公開を行います。著作権保護期間内であり、著作権者のご連絡先が判明した場合、利用に関して許諾依頼を行い、許諾が得られましたら、インターネット公開を行います。
皆様からの情報をお待ちしています。ご協力をよろしくお願いいたします。

 とある。
 著作者の歿年が分からなければ、即ち歿後五十年を經てゐるといふことは分らないので、いつまで經つても著作權が失效したことを確認出來ず、パブリックドメインと見做せない、いはゆる孤兒作品といふものになる。著作者の身元が不明であれば歿年が不明である割合も高いわけで、さうした著作者の情報を募つてゐるといふことになる。
 まあ、かうしたものは著作者の遺族だとか子孫、知り合ひだつた人などが情報を提供する場であつて、一般人には餘り關係のないものだと思つてゐたのだが、今回、思ひがけなく私から情報を提供する機會があつた。
 最近、私は『青鞜』に興味を抱いて色々とそれに關する本を讀んでをり(青鞜といふのは日本史で習ふので知つてをられる方も多いと思ふが、明治時代に女性のみで發刊された文藝雜誌である)、その讀んでゐた本の中に『「青鞜」人物事典(二〇〇一年、大修館書店)』があつた。これは青鞜に關はつた人物をほぼ網羅した事典であり、これを讀むと平塚らいてうや與謝野晶子のやうな一部の著名な人物の他にも、多くの現代では名を知られることも少ない女性たちが青鞜に參加してゐたことが分かる。中にはこの事典を以てしても身元不明となつてゐる人物も多く(そもそも社員名簿が現存してゐない)興味深いものであつた。そしてここに載せられてゐる全員を「著作者情報 公開調査」で檢索してみたところ、この中で「武市綾子」といふ人物が調査對象になつてゐるのを見つけた。
 武市綾子は『過度時代の婦人』といふ著書が所藏されてゐるため調査對象になつてゐたのだが、見ると生歿年共に不明となつてゐる。しかし一方で手元の『「青鞜」人物事典』には生歿年も略傳も載つてゐるわけで、これは送つてみてもいいとの考へで、送信フォームに必要事項を記入して送信した。
 ここでついでに、ネット上には今のところ全くと言つてよいほど情報のない、武市綾子について述べてみたい。
 『「青鞜」人物事典』によれば、彼女は一八八九年二月二十二日に生れ、一九四二年八月十一日に歿してゐる(つまり現在の時點で著作權は消滅してゐる。また、この事典では名は「綾」と書かれてゐる)。生れは愛媛縣伊予郡北伊予で、父の武市庫太は同志社英學校に學び、村會議員、縣議會議員を經て一九〇一年から衆議院議員に六回當選、一家は東京で暮したとある。
 綾子は一九〇六年四月に日本女子大學校英文學部に同英文豫科から入學、一九〇九年に卒業した。その後は二、三年の間研究科生となつてゐるが、『青鞜』に投稿した『人形の家(ジェンネット・リー)』と『幽靈を論ず(メレジコウスキー)』二篇の翻譯はこの頃のものかとも書かれてゐる。幼兒教育に興味を持つてモンテッソリ教育法の研究に勵み、一九一四年に、丸山千代の助手として櫻楓會託兒所に入る。その後も櫻楓會本部の後援を得て、更にモンテッソリ教育法の研究と實踐に專念した。
 一九一六年に吉賀貞輔と結婚。自ら幼兒教育の場を持つて實踐したいとの強い希望により、一九一八年六月、東京府澁谷町中澁谷に「私立家庭幼稚園」を開設する。定員二十五名の家庭的幼稚園で、自治獨立の精神と知識の基礎である感覺の涵養を目的とした。七月に長男を出産。一九二五年に世田谷若林に移轉し、その後も設備資金確保のため懸命に努力するが、一九四二年に胃癌のため死去、享年五十歳。綾子が開設した「家庭幼稚園」は經營者こそ變つてゐるが、今も同じ場所、同じ名稱で存在するのだといふ……。
 『過度時代の婦人』は、確認してみるとAnnette M.B.Meakinの著書で、綾子は翻譯者であるらしい。翻譯といふのは經歴を見ても綾子の仕事として自然なものだし、一九一二年十二月といふ出版年月も『青鞜』に翻譯を寄せてゐた時期と重なるから、同一人物と斷定してよいだらう。

国立国会図書館デジタルコレクション - 過渡時代の婦人
 さて、國會圖書館の對應は非常に速く、送つたのは五日の午前一時頃であつたのが、翌日の午後三時半には「著作權處理係」から「この度は、当館で著作者情報公開調査をしております武市綾子氏につきまして、情報をご提供いただき誠にありがとうございました。当係で確認後、登録させて頂きます。」とのメールが來た。
 そして、これは今日になつて確認したのだが、生歿年を確認する際に眞先に參照すべき「国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス」を見ると、無事に登録されてゐることが確認された。

https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00517847
 『過度時代の婦人』のはうは未だにインターネット公開とはなつてゐないが、テキスト本文の著作權が切れてゐても序や跋、插繪などに著作權の有效なものが含まれてゐると公開は出來ないので、さうした事情があるのかもしれない。
 今回、私は『「青鞜」人物事典』編輯者の方々の成果を圖書館に送つただけに過ぎないが、一人の著作者の情報を國會圖書館が明らかにすることに、少しでも役立てたことは嬉しい。そして言ひたいのは、私達一般人でも手元の本の情報を國會圖書館に送り、孤兒作品を減らすのに役に立てるかもしれないといふことだ。
 因みにもう一人、同じ『「青鞜」人物事典』に載つてゐる上田君子(上田君)も公開調査對象になつてゐたが、彼女は國會圖書館側の調査でも、生歿年共に明らかになつてゐた。しかし一九七一年歿といふことで未だに著作權保護の對象とはなつてをり、この場合はいづれにせよ二〇二二年にパブリックドメインとなることが確認できる。これは遺族から許諾を得て今からでもインターネット公開をしたいが、連絡がつかないといふことであらう。