『春琴抄』谷崎潤一郎著

 谷崎潤一郎の作品を讀むのは實はこれが初めてである。段落がほとんどなく句讀點も所々つけられてゐない谷崎の文章は私にとつて新鮮であつたが、それがこの小説の持つ獨特の雰圍氣を形作つてゐた。

 盲目といふやや俗世間から離れた環境の中での生活、更に既に冒頭で春琴も佐助も死亡してをり過去の話であることが示されてゐることで、讀者と春琴たちの間には一定の距離があり、物語は鴫澤てるの證言と「鵙屋春琴傳」なる小册子を頼りにして書かれてゐるといふ設定で、その曖昧さがますます春琴が讀者にも性格以外ほとんど完璧な人物のごとく感じさせる要因となつてゐるのではないかと思はれる。

 佐助の春琴への獻身ぶりは餘りにもすさまじい。これは普段の私たちの生活からは到底想像もつかないほどのもので、春琴がいくら美しいとはいへ幼い頃から春琴を慕ひ愛し續けてきた佐助だからこそできることなのであらう。佐助に對しての春琴の態度は決して温かいと言へるものではないが、ここに二人の獨特な愛の形があり、確かな絆が存在することは容易に察せられる。佐助は春琴が盲目であり、氣位が高いからこそ、このやうな愛の形を作り出し、春琴に奉公し續けることができたのではないか。顏に火傷を負つた春琴のために眼を針で突き盲目になるなどといふ行爲は、中々できるものではない。盲人となつた佐助が春琴に報告へ行き、二人が相擁して泣く場面は、恐ろしくはあるが感動的であつた。

・春琴抄 谷崎潤一郎著 新潮文庫