Amazon KDPによる電子書籍出版の振り返り(平成二十九年)

 平成二十九年も殘り僅かになつたので、今年になつてから私が始めたことの一つを、ここで一度振り返つておかうと思ふ。それは電子書籍の出版である。
 ブログにはこれまで書いてゐなかつたのだが、以前からAmazonKindle Direct Publishing(KDP)といふサービスを利用して、電子書籍の出版を行つてゐた。私がここでやりたいと思つたのは著作權切れの文學作品を復刻することで、今年九月の初めに第一册目である、鷹野つぎ著『眞實の鞭』を出版することが出來た。
 何故電子書籍といふ形で文學作品を復刻しようと思つたのか? それは最近になつて今更のやうに、近代の作家たちの著した作品の、絶版となり入手困難なものの多いことに氣付かされたからである。現代では名も忘れ去られ、全集や作品集なども出てゐない、しかも古書の價格は高く、それも出廻つてゐる數は非常に少ない、そんな作家は大勢ゐる。そんな作家や作品たちに、再び陽の目を見せてやりたい、と思ふやうになつた。
 その頃、ほぼ時を同じくして、國會圖書館デジタルコレクション(デジコレ)の便利さも知つた。國立國會圖書館が運營するこのサイトでは、著作權切れの書籍の畫像が大量に公開されてをり、それらのデータは著作權法に觸れなければ、商業的な目的に使ふことも可能である(但しこれは「保護期間滿了」と書かれてゐるものに限られ、著作權者が不明であり特別な裁定によつて公開されてゐるもの、著作權は失效してをらず許諾によつて公開されてゐるものなども多くあるので注意されたい)。これは本當に素晴らしいサービスだと思ふし、かういつた事業には是非惜しみなく税金を使つて頂きたいと思ふ。現在では入手困難な作家たちの作品も多くこれで讀むことが出來る。ただしこれはじつくりと讀むのに最適な環境とはいへない。あくまでも古い本をスキャンしたデータであり、パソコンのモニターは長時間見れば目が疲れる。KDPのことを知つたとき、それならばデジコレで手に入るテキストを利用して、自分が電子書籍にしてしまはう、と思つたわけである。

 KDPで本を出さう、と思ひ立つたのが今年の初め、確か冬休み中の二月の終り頃で、そこからアルバイトで金を貯め、スキャナーや讀み取りソフトを買ひ、翻刻を始め、翻刻が完了した頃にはもう夏も終りかけてゐた。とはいへ私もずつとこれにかかりきりであつた訣ではなく、大學が忙しかつたこともあり、途中で完全に放置してゐた時期もあつたりしたので、氣の早い人ならばもつと早く出版に漕ぎ付けられたことだらう。
 KDPの出版に當つてはAmazonの審査を通過する必要があり、データを提出してから、著作權が切れてゐることを證明しろと何度もメールで要求される、といふ話を先驅者の方々の記事で讀んでゐたため、果して無事にいくかどうかと危惧してゐたのだが、特に何を言はれることもなく無事に出版された。
 色々と入力をし、データを上げて出版申請を完了させたのが九月七日の夜。翌日の朝に見た時にはまだ出版されてゐなかつたのだが、晝前に「提出された本がkindleストアで出版されました。」とのメールが送られて來、確認すると見事にAmazonで販賣が開始されてゐた。
 記念すべき第一册目は、鷹野つぎの『眞實の鞭』を出版した。彼女は私の地元である靜岡縣の、濱松市出身の作家であり、私は小學校の頃の副讀本で彼女のことを知つた。そしてその副讀本に載せられてゐたのが『眞實の鞭』の書影であり、長さや内容も丁度よく、さうした思ひ出があることもあつて、第一册目にはこの本が選ばれたのだった。當時の廣告には「感想集」と書かれてゐるが、内容は隨筆的な文章や女性の生活や地位に關する意見、小説的な文章まで樣々である。
 それから、九月末には加藤武雄の『感謝』、芥川龍之介の『煙草と惡魔』、十月下旬には牧野信一の『父を賣る子』、十一月中旬には南部修太郎の『修道院の秋』を復刻出版し、現在は計五册を販賣してゐる。これらは全て新潮社の『新進作家叢書』に含まれる短篇集で、このシリーズは作家、テキストの分量、内容、シンプルで復刻しやすい表紙畫像(表紙もなるべく當時のものにしたいので)と共に丁度いいものであつたので、これを復刻することにした。
 芥川と牧野は青空文庫のテキストを利用させて頂いたのだが、デジコレのものと校合して底本通りに本文を書き換へた。南部は七篇のうち三篇は青空文庫に收録されてゐたが、殘り四篇は未收録だつたので獨自に翻刻した。全テキストを自分で翻刻したのは『眞實の鞭』と加藤の『感謝』だけだが、やはり全部を復刻するといふのはかなり大變な作業である。入力が終つても次は入念な校合の作業が待つてゐる(校合に關しては全て行はなければならないが)。それも全部終り、表紙畫像をペイントソフトで加工してから、やうやく出版に漕ぎ着けられる。
 しかし入手困難な、忘れられた作品に再び脚光を少しでも浴びせたいといふ目標から考へれば、青空文庫に入つてゐないものの方が斷然この理念には叶つてゐるわけである。芥川や牧野は今も廣くその名を知られてゐることは言ふまでもないが、まづは出版點數を増やしたいとの思ひから出してもゐる。しかしこれは決して意義のないことではなくて、彼らの作品といへども現在は、全集でなくては歴史的假名遣、舊字體表記の作品は讀めないから、それを手輕に讀むことができるやうにしたといふだけでも一應の意味はあると思ふ。

 因みに、KDPでは出版社名を入力出來る欄があるのだが、ここでの屋號は「永文堂」とした。優れた文を永く後世に受け繼がせていきたい、といふ意味のもので、適度に分りやすく、適度に古風な感じは出てゐるのではないだらうか、と個人的には思つてゐる。『眞實の鞭』出版の際にはTwitterアカウントも作成し、自分でリツイートなどもして宣傳を行つた。IDは@Eibundoである。

 さて、この永文堂の本が三ヶ月でどのくらゐ賣れたかを見てみよう。
 

・九月…… 眞實の鞭(一册)

・十月…… 感謝(二册)父を賣る子(二册) 

・十一月……修道院の秋(二册)煙草と惡魔(一册)

 

 計八册。九月の『眞實の鞭』は、同じくデジコレの書籍を「富楼那阿難堂」の屋號で電子復刻してをられるpuru(@puruPera)さんが購入して下さつたものであり、つまり五册のうち唯一これだけが未知の購入者に買はれてゐない。puruさんは現在青森縣で按摩師をやつてをられる方で、富楼那阿難堂は按摩や健康に關する書籍の復刻が主である。關心のある方は是非見て頂ければと思ふ。
 私は價格を二百圓に統一してをり、利益は一册當り六十五圓がAmazonから支拂はれる。つまり利益は五百二十圓となる。五册の電子書籍を作成、出版するのに拂つた勞力には、一般的に見れば全く釣り合はない金額であるといへよう。時給にすれば一體幾らになるのか……とはいへ、私としては全く未知の方が七册も買つて下さつたことが嬉しく、また一册も賣れない可能性も充分に有り得ると考へてゐたので、むしろこれだけ賣れたことには驚いてもゐる。購入者の方々にはこの場で深くお禮を申し上げたい。
 單に金を稼ぎたいといふのであれば、私のやうな復刻電子書籍の出版は全く割には合はないであらう。既に青空文庫のテキストをまとめた『漱石大全』だとか『太宰治作品集』だとかの電子書籍は多く出版されてをり、電子書籍の特性を生かして一册に何十、何百と作品を詰め込んだそれらは、付けられてゐるレヴューの數から考へても相當に賣れてはゐるらしいが、今更單に青空文庫のテキストをコピペして後追ひをしたにしても、これらに追ひつける道理はないであらう。
 因みにこれらの、青空文庫にあるものは何でもかんでも全てぶち込んだ電子書籍は、小説や隨筆、評論、翻譯、その他の短文などがごちや混ぜであり、しかも歴史的假名遣ひと現代假名遣い、舊字體と新字體も混在してゐて一つの本として讀み通すには非常に讀みにくいと思ふのだがどうなのであらうか。あくまでも青空文庫テキストを讀みやすい環境に移動させたものといふ認識で買ふべきなのかもしれない。中には主要な作品が全然入つてゐないのに全集や作品集などと銘打つたり、別作家の作品が混ざり込んでゐたり、目次もまともに付けられてゐない粗惡なものも多くあるやうなので、無料サンプルをダウンロードするなどして、確認の上で買ふのが無難であらう。

 三ヶ月の間に五册を出してみて、翻刻や校合などの作業は大變ではあるものの、非常に樂しい作業でもあつた。やはりある程度は自己滿足的な要素がなければ、かういふ作業は成し得ないものかもしれない。たとへ二名の方だけであつても、往年の大流行作家でありながら全ての著書が絶版となつて久しく、今では名前を知る人も少ない加藤武雄の作品を買つて下さつたことが嬉しく、それだけでも一册分全てを翻刻した意義はあつたといふものである。
 取り敢へず或る程度まで出版點數を増やせば、目に付きやすくなるのではないかとも考へられるし、來年も限られた時間の中で一册でも多く出し、忘れられた作家や作品に僅かながら光を當てていきたいと思ふ。今はスキャナーを利用して、デジコレで公開されてゐない、眞に入手困難な作品の出版準備も進めてゐるので、また出版の機會には見て頂ければと思ふ。

 

※追記……記事を書いてのちの十二月二十一日に『修道院の秋』が一册賣れたので、平成二十九年の電子書籍による收入は最終的に五百八十五圓となつた。(平成三十年一月十三日)

真実の鞭

真実の鞭

 
感謝

感謝

 
煙草と悪魔

煙草と悪魔

 
父を売る子

父を売る子

 
修道院の秋

修道院の秋