竹田敏彦『時代の霧』

 竹田敏彦といふ作家を知ったのは、偶然目にすることとなつたこの記事――『出版・読書メモランダム』内の「古本夜話480 昭和十年の流行作家竹田敏彦と『涙の責任』」(http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20150608/1433689207)に於てであつた。昭和十年代の流行作家といふことだが、「もはや現在では読まれることもなく、忘れられた作家と見なしていいだろう。」といふ一文が私の關心を呼び起させた。

 確かに檢索して調べてみると、竹田の作品は全て(恐らく大分以前から)絶版となつてをり、新刊で手に入れることは最早出來ない。しかし1961(昭和36)年に亡くなつた彼の作品は2011(平成23)年に著作權が失效してをり、國立國會圖書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で幾つかの作品が公開されてゐる。

1.曉は遠けれど(後篇のみ)

2.歌姫懺悔

3.時代の霧

4.制服の街

5.第二の虹

6.二つの結婚

7.牡丹崩れず(前篇のみ)

8.二人の母(續・牡丹崩れず)

9.みたての花

10.明治偉人少年時代

11.若い未亡人

 この11作品が公開されてゐるが、残念ながら冒頭で紹介した記事にあつた『涙の責任』はないやうである。しかし「もはや讀まれることもない」といふのなら、自らどれか一つを試しに讀んでみようと思ひ、この中から『時代の霧』のページを開いた。しかし冒頭を讀んでいく内に惹き込まれ、段々と讀み進めて、たうとう或る箇所まで來たところで、この小説は全て讀まうと決心するに至つた。

 途中からはスマートフォンに『帝國圖書館』といふアプリケーションを入れ、專らこれで讀んだ。非常に便利なアプリである。長らく讀書は紙にこだはりたいと思つて來たし、今でも紙で讀めるものは紙で讀みたいと思ふのだが、かうしてみると必ずしも惡いといふわけではなささうだと思ひ直した。

 前置きが長くなつたが、この小説は非常に面白く讀めた。先程の記事にも竹田の作品は大衆受けしたとあり、これもさういつた性格のものであらうと思はれる。因みに出版されたのは1939(昭和14)年である。

 

 ここからは僅かながら内容に入るので、未讀の方は注意して頂きたい。

 冒頭は銀座デパート屋上から望遠鏡で「人間散歩」をする風間淳三と、駒井春實といふ謎めいた令孃の出會ひから始まる。そして淳三は春實に、オンブル聯盟といふ怪しげな結社へと案内される……。この結社は本筋には結局殆ど關係しないのだが、こんな風に讀者の好奇心を煽り立てる形で物語は始まるのである。

 この小説では善人と惡人とが明瞭に區分されてゐて、驚くやうな味方の裏切りは起らない。そして善人側は、本當に素晴らしい、善良な性格の持ち主揃ひである。殆ど性格的缺點などないかのやうに私には思はれた。よつて、味方同士の爭ひといふのも殆ど起らない。これらが強く印象として殘つた。

 しかし作中に描かれる己三雄ら惡人達との鬪ひ、主人公や春實、鳥羽靜子、松山夏彦らの入り亂れる戀には惹き込まれるものがある。戰前といふことを忘れさせさうなほど、これらは生き生きして感じられた。

 そして他にも印象に殘つたのは、幾度も強調される貧しさである。鳥羽一家はもとより、春實も社長令孃としての生活から一轉、一時は女工として暮すまでに零落してしまふ。これは冒頭に掲げた記事でも言及された、少年期に家が沒落し貧乏の苦しみを味はつた竹田の經驗から來るものなのであらう。竹田の温かい、貧しい者への視線が感じられた。

 一時期中斷してゐた當ブログの小説感想記事であるが、今回、忘れられた作家の小説を掘り起すといふ意味で、記事にすることに少しでも意味があるのではないかと思ひ、書いてみた次第である。興味のある方は是非、國立國會圖書館デジタルコレクションででも讀んで頂ければと思ふ。