表外漢字含有人名蒐集《2》

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表外漢字含有人名蒐集《1》 - floralraft’s blog

 

《2》タ行~ワ行

 

タ行

・高倉 永祜(たかくら ながさち)1839‐1868 公卿、高倉家第二十一代當主 ※示す偏に古

・高島 鞆之助(たかしま とものすけ)1844‐1916 薩摩藩士、陸軍軍人(中將)、政治家(陸軍大臣・拓殖務大臣・樞密顧問官等)、大阪偕行社學院設立者

・鷹司 祺子(たかつかさ やすこ)1811-1847 仁孝天皇の女御、のち皇太后女院

・瀧川 具綏(たきがは ともやす)1850-1877 旗本、陸軍中尉從七位(通稱・充太郎)

・田口 鋹雄(たぐち としを)1925-200 日本中央競馬會元理事 ※金偏に長

・田代 皖一郎(たしろ かんいちらう)1881-1937 陸軍中將

・立花 誾千代(たちばな ぎんちよ)1569-1602 立花城城督 ※門構へに言

・立花 貞俶(たちばな さだよし)1698-1744 旗本寄合席立花彈正家二代目、のち筑後柳河藩第五代藩主

・立花 壽賰(たちばな ひさとみ)1762-1825 柳河藩家老、立花内膳家第六代目當主 ※貝偏に春

・立花 壽俶(たちばな ひさよし)1801-1831 柳河藩

・谷 衞弼(たに もりのり)1823-1856 丹波國山家藩第十二代藩主

・谷 衞昉(たに もりやす)1811-1884 丹波國山家藩第十一代藩主、從五位下、出羽守 ※日偏に方

・田村 丕顯(たむら ひろあき)1875-1945 一関田村家十二代目當主の子爵、海軍軍人・海軍少將

・穠姫(ぢようひめ)1792-1820 阿波徳島藩第十二代藩主・蜂須賀齊昌の正室。(別名・文姫)※禾偏に農

・津輕 尹子(つがる ただこ)1849-1900 津輕藩主津輕承昭の繼室、信君と稱す

・津田 信糺(つだ のぶただ)1555-1633 織田家家臣、徳島藩

・椿 蓁一郎(つばき しんいちらう)1850‐1935 幕末の桑名藩士、明治期の教育者・内務官僚

・登石 雋一(といし しゆんいち)1932‐2012 映畫プロデューサー、映畫會社經營者

・東郷 實昉(とうがう さねはる)1711-1789 薩摩藩城下士、演武館初代劍術師範(通稱・彌八左衞門、藤右衞門)※日偏に方

・藤堂 高朶(とうだう たかえだ)1746-1801 伊勢久居藩第八代藩主、久居藩藤堂家八代

・藤堂 高嶷(とうだう たかさと / たかさど)1746-1806 伊勢津藩第九代藩主、藤堂家宗家九代、久居藩藤堂家七代

・藤堂 高兌(とうだう たかさは)1781-1825 伊勢津藩第十代藩主、藤堂家宗家十代、久居藩藤堂家十二代

・藤堂 高崧(とうだう たかすけ)1765-1798 伊勢國津藩の世嗣、從四位下、大學頭、主殿頭 ※山の下に松

・藤堂 高邁(とうだう たかとう)1786-1828 伊勢久居藩第十三代藩主

・藤堂 高矗(とうだう たかなほ)1771-1790 伊勢久居藩第十一代藩主、久居藩藤堂家十一代

・藤堂 高秭(とうだう たかやつ)1791-1851 伊勢久居藩第十四代藩主、久居藩藤堂家十四代 ※禾偏に弟の一・二・三畫目を除き四畫目を右から書いた形

・富樫 稙春(とがし たねはる)生年不詳-1574年 武將

・富樫 稙泰(とがし たねやす)1474?-1535 守護大名(通稱・假名次郎)

・戸川 安熈(とがは やすおき)1755-1777 旗本(通稱・與市郎のち内藏助)

・戸川 安昶(とがは やすてる)1756-1786 旗本(通稱・隼人のち内藏助)

・土岐 頼殷(とき よりたか)1642-1722 出羽上山藩第二代藩主 のち越前野岡藩、駿河田中藩の初代藩主 沼田藩土岐家三代

・徳川 圀齊(とくがわ くになり)1912-1986 水戸徳川家十四代當主、徳川圀順の長男、財團法人水府明徳會會長、水戸市植物公園蘭科協會初代會長

・徳川 圀順(とくがは くにゆき)1886-1969 水戸徳川家第十三代當主、華族、陸軍軍人、貴族院議長、日本赤十字社社長

・徳川 齊彊(とくがは なりかつ)1820-1849清水徳川家第五代當主、紀伊紀州藩第十二代藩主

・徳川 光圀(とくがは みつくに)1628-1701 常陸水戸藩第二代藩主

・徳川 宗尹(とくがは むねただ)1721-1765 一橋徳川家初代當主

・徳川 宗翰(とくがは むねもと)1728-1766 常陸国水戸藩第五代藩主

・徳川 吉孚(とくがは よしざね)1685-1709 水戸藩第三代藩主徳川綱條の世子

・徳川 慶臧(とくがは よしつぐ)1836-1849 尾張藩第十三代藩主

・徳川 頼韶(とくがは よりあき)1917-1958 紀州徳川家第十七代當主

・徳川 鐐子(とくがは れうこ)1808-1890 鶴岡藩主酒井忠發の正室

・戸田 氏尹(とだ うぢただ)1698-1770 高家旗本(通稱・岩之助、大學、寛休)

・戸田 氏綏(とだ うぢやす)1805-1855 美濃大垣新田藩(三河畑村藩)第七代藩主、大垣藩戸田家分家七代

・戸田 氏倚(とだ うぢより)1773-1837 高家旗本(通稱・文太郎、圖書)

・戸田 忠囿(とだ ただその)1669-1732 下野足利藩第二代藩主、宇都宮藩戸田家分家二代

・戸田 忠翰(とだ ただなか)1761-1823 下野宇都宮藩第二代藩主、宇都宮藩戸田家八代

・戸田 忠盈(とだ ただみつ)1730-1781 下野宇都宮藩第三代藩主(のち肥前島原藩初代藩主)、宇都宮藩戸田家六代

・戸波 侊伸(となみ てるのぶ)1938- ラジオパーソナリティ放送作家、社團法人日本放送作家協會理事(ペンネームは奥山 コーシン、奥山侊伸) ※人偏に光

・鳥居 忠熹(とりゐ ただてる)1776-1821 下野壬生藩第四代藩主、壬生藩鳥居家八代

 

ナ行

・内藤 弌信(ないとう かずのぶ)1658-1730 越後國村上藩初代藩主

・内藤 信凭(ないとう のぶより)1748-1781 越後國村上藩第五代藩主

・内藤 正弼(ないとう まさすけ)1733-1770 信濃岩村田藩第三代藩主、岩村田藩内藤家四代

・内藤 政韶(ないとう まさつぐ)1776-1802 日向延岡藩第四代藩主、延岡藩内藤家宗家九代

・内藤 義稠(ないとう よししげ)1697-1718 陸奥磐城平藩第五代藩主、延岡藩内藤家宗家五代、從五位下、左京亮

・永田 丕(ながた はじめ)1921-2012 醫師、醫學者、醫學博士、北信總合病院第四代院長、名譽院長

・中院 通躬(なかのいん みちみ)1668-1740 公卿、歌人中院家第十八代當主

・長野 暹(ながの すすむ)1931- 日本經濟史學者、佐賀大學名譽教授

・中村 粲(なかむら あきら)1934-2010 英文學者、近代史研究家、元獨協大學名譽教授

・中村 曻(なかむら のぼる)1938- 家具デザイナー

・鍋島 直暠(なべしま なほてる)1832-1883 肥前佐賀藩國老(通稱・四郎、河内)※日の下に高

・鍋島 直彜(なべしま なほのり / なほつね)1793-1826 肥前鹿島藩第七代藩主

・鍋島 直愈(なべしま なほます)1756-1801 肥前小城藩第七代藩主

・南部 甕男(なんぶ みかを)1845‐1923 司法官僚、正二位勳一等男爵

・西川 祐尹(にしかは すけただ)1706‐歿年不詳 浮世繪師

・西村 暹(にしむら すすむ)1931- 生化學者、分子生物學者、アメリカ生化學・分子生物學會名譽會員

・仁井田 陞 (にゐだ のぼる)1904-1966 法制史學者

・沼田 麝香(ぬまた じやかう)1544-1618 細川藤孝(幽齋)の正室

・野口 坤之(のぐち こんの/のぐち こんし)1860‐1919 陸軍軍人(中將)

・野坂 暘子(のさか やうこ)1941- シャンソン歌手、元寶塚歌劇團娘役

・野田 豁通(のだ ひろみち)1844-1913 熊本藩士、陸軍軍人、陸軍經理組織創設者、陸軍監督總監

・野村 晁(のむら あきら)1900-1970 脚本家(脚本家名・伏見 晁)

 

ハ行

・芳賀 綏(はが やすし)1928- 日本語學者、東京工業大學名譽教授

・畠山 國儔(はたけやま くにとも)1759-1801 高家旗本(通稱・右膳、二郎四郎)

・畠山 稙長(はたけやま たねなが)1504-1545 河内・紀伊越中守護、畠山尾州家(高屋畠山氏)當主

・畠山 義躬(はたけやま よしかた)1688-1740 高家旗本(通稱・左門、主計)

・旗田 巍(はただ たかし)1908-1994 東洋史學者、東京都立大學名譽教授

・蜂須賀 正韶(はちすか まさあき)1871-1932政治家、侯爵、阿波蜂須賀家第十七代當主

・蜂須賀 茂韶1846-1918(はちすか もちあき)阿波國徳島藩十四代藩主、文部大臣、東京府知事貴族院議長を歴任

・馬場 鍈一(ばば えいいち)1879-1937 大藏官僚、貴族院敕選議員 ※金偏に英

・早川 兼彜(はやかは かねのり)1814-1878 薩摩藩士・江戸御留守居役(通稱・早川五郎兵衞)

・林 髞(はやし たかし)1897-1969 大腦生理學者、小説家、推理作家(作家名・木々 高太郎)

・原 曻(はら のぼる)1922- 元大阪府岸和田市長、元大阪府市長會顧問

・東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ)1834-1912 公家、政治家

・菱田 重禧(ひしだ しげよし)1836-1895 大垣藩士、漢詩人、官僚、裁判官、青森縣權令

・肥田 晧三(ひだ かうざう)1930- 日本文學者、元關西大學文學部教授

・平岩 愃保(ひらいは よしやす)1857-1933 牧師、日本メソヂスト教會第二代監督

・平生 釟三郎(ひらお はちさぶらう)1866-1945 實業家、教育者(甲南學園創立者)、政治家(廣田内閣で文部大臣、貴族院敕選議員、樞密顧問官)

・平沼 騏一郎(ひらぬま きいちらう)1867‐1952 司法官僚、政治家、法学博士

・平部 嶠南(ひらべ けうなん)1815-1890 政治家、飫肥藩家老 ※山偏に喬

・平井 政遒(ひらゐ まさかつ / まさる)1865-1950 内科醫、陸軍軍醫總監、宮内省御用掛

・廣瀬 順晧(ひろせ よしひろ)1944- 歴史學者(專門・日本近現代史駿河臺大學教授

・福永 祐炳(ふくなが すけあき)生年不詳-1533 日向伊東氏の家臣、伊豆守(通稱・次郎三郎)

・福原 元僴(ふくはら もとたけ)武士、長州藩永代家老 ※人偏に間

・藤井 尚弼(ふぢゐ なほすけ)1825-1859 地下人

・古田 晁(ふるた あきら)1906-1973 出版人、筑摩書房創業者、初代社長

・日置 忠弼(へき ただすけ)1811-1881 岡山藩家老

・紅谷 愃一(べにたに けんいち)1931- 録音技師、日本映畫・テレビ録音協會代表理事

・北條 氏昉(ほうでう うぢあきら)1760-1811 河内狹山藩第八代藩主 ※日偏に方

・北條 雋八(ほうでう しゆんぱち、1901-1974 貴族院子爵議員、参議院議員(2期)

・保立 旻(ほたて あきら)1916-2000 第八、九代東京都小金井市

・保科 正殷(ほしな まさたか)1694-1738 上總飯野藩第四代藩主

・保科 正丕(ほしな まさもと)1801-1848 上總飯野藩第九代藩主

・細川 興昶(ほそかは おきのぶ)1785-180 常陸谷田部藩嫡子

・細川 尹賢(ほそかは ただかた)武將、細川氏の庶流・典廏家當主

・細川 春倶(ほそかは はるとも)生年不詳-1500 武將、細川野州家分家當主

・細川 行芬(ほそかは ゆきか)1811-1876 肥後宇土藩第九代藩主

・細川 韶邦(ほそかは よしくに)1835-1876 肥後國熊本藩第十一代藩主、熊本藩細川家十二代

・堀 親寚(ほり ちかしげ)1786-1848 老中格信濃飯田藩第十代藩主、信濃飯田藩堀家十一代 ※ウ冠に王、その下に缶

・本多 助盈(ほんだ すけみつ)1718-1774 信濃飯山藩第四代藩主、廣孝系本多家八代

・本多 忠籌(ほんだ ただかず)1739-1812 江戸幕府老中格陸奥泉藩第二代藩主、忠以系本多家五代

・本多 忠鄰(ほんだ ただちか)1811-1874 播磨山崎藩第八代藩主、政信系本多家九代

・本多 忠穆(ほんだ ただひこ)1830-1856 伊勢神戸藩の世嗣

・本多 忠敞(ほんだ ただひさ)1727-1759 下總國古河藩第二代藩主、石見國濱田藩初代藩主、忠勝系本多家宗家九代

・本多 忠盈(ほんだ ただみつ)1732-1767 石見國濱田藩第二代藩主、忠勝系本多家宗家十代

・本多 正訥(ほんだ まさもり)1827-1885 駿河國田中藩第七代藩主、安房國長尾藩初代藩主(知藩事)、正重系本多家九代

・本多 康桓(ほんだ やすたけ)1714-1769 近江膳所藩第七代藩主、康俊系本多家宗家七代

 

マ行

・毛利 就盈(まうり なりみつ)1739-1776 厚狹毛利家七代

・毛利 熈頼(まうり ひろより)1803-1871 長州藩一門家老の大野毛利家八代

・毛利 房晁(まうり ふさあき)1786-1844 厚狹毛利家第九代當主

・毛利 元倶(まうり もととも)1585-1645 右田毛利家二代

・牧野 弼成(まきの すけしげ)1854-1924 丹後田邊藩第十代藩主、丹後田邊藩牧野家十一代

・牧野 康儔(まきの やすとも)1773-1800 信濃小諸藩第五代藩主、越後長岡藩分家牧野家七代

・眞島 襄一郎(まじま じやういちらう)1852-1913 實業家

斑目 力曠(まだらめ りきひろ)1937- ネミック・ラムダ(現デンセイ・ラムダ)創業者、眞言宗大覺寺派僧侶

・松浦 陞(まつうら すすむ)1884-1962 華族、松浦家第三十九代當主、茶人

・松下 雋(まつした しゆん)1946‐2013 日本ガイシ代表取締役社長、中部經濟連合會副會長、學校法人名城大學理事

・松浦 晧(まつら ひかる)1804-1856 肥前平戸新田藩第八代藩主

・松浦 熈(まつら ひろむ)1791-1867 肥前平戸藩第十代藩主

・松倉 恂(まつくら じゆん / まこと)1827-1904 仙台藩重臣

・松平 定逵(まつだひら さだみち)1677-1718 越後高田藩第二代藩主、定綱系久松松平家四代 ※定達とも

・松平 定猷(まつだひら さだみち)1834-1859 伊勢桑名藩藩主、定綱系久松松平家十二代

・松平 勝尹(まつだひら かつただ)1713-1768 下總多胡藩第三代藩主

・松平 忠倶(まつだひら ただとも)1634-1696 遠江掛川藩第二代藩主、のち信濃飯山藩初代藩主

・松平 近儔(まつだひら ちかとも)1754-1840 豐後府内藩第六代藩主、一生系大給松平家八代

・松平 親盈(まつだひら ちかみつ)1726-1801豐後杵築藩第五代藩主、杵築藩能見松平家八代

・松平 信璋(まつだひら のぶあき)1827-1849 三河吉田藩第六代藩主、松平伊豆守系大河内松平家十代

・松平 乘薀(まつだひら のりもり)1716-1783 美濃岩村藩第三代藩主、岩村藩大給松平家四代

・松平 乘懿(まつだひら のりよし)1827-1850 三河西尾藩の嫡子

・松平 盈乘(まつだひら みつのり)1716-1742三河奥殿藩第二代藩主、奥殿藩大給松平家四代

・松平 康宦(まつだひら やすのり / やすひろ)1657-1727 石見濱田藩第二代藩主、松井松平家三代

・松平 頼筠(まつだひら よりかた)1801-1839 常陸宍戸藩第七代藩主 ※竹冠に均

・松平 頼桓(まつだひら よりたけ)1720-1739 讚岐高松藩第四代藩主

・松平 頼纉(まつだひら よりつぐ)1841-190 讚岐高松藩藩主一門、松平大膳家第八代

・松村 劭(まつむら つとむ)1934-2010 軍事評論家(戰略・戰術研究・情報分析專門)、デュピュイ戰略研究所東アジア代表、國際戰略研究所會員

・松尾 尊兌(まつを たかよし)1929- 歴史學者(日本近現代史專攻)、京都大學名譽教授

・前田 晁(まへだ あきら)1879-1961 小説家、翻譯者

・前田 利豁(まへだ としあきら)1823-1877 上野七日市藩第十一代藩主、七日市藩前田家十一代

・溝口 直溥(みぞぐち なほひろ)1819-1874 越後新發田藩第十一代藩主

・水谷 穎介(みづたに えいすけ)1935-1993 建築家、都市計畫家

・光藤 景皎(みつどう かげあき)1931- 刑事訴訟法學者、大阪市立大學名譽教授、信州大學教授、辯護士、法學博士(京都大學、1976年)

・水野 勝岑(みづの かつみね)1697-1698 備後福山藩第五代藩主、水野宗家五代(通稱・松之丞)

・水野 忠韶(みづの ただてる)1761-1828 安房北條藩第三代藩主(のち上總鶴牧藩初代藩主)、忠位系水野家四代

・水野 忠盈(みづの ただみつ)1663-1699 三河岡崎藩第三代藩主、忠元系水野家四代

・水上 浩躬(みなかみ ひろみ / ひろちか)1861-1932 第三代神戸市長

・宮原 巍(みやはら たかし)1934- ネパールの實業家、政治家

・宮原 義汨(みやはら よしか)1708-1769 高家旗本(通稱・勘五郎、市正)

・宮本 悳(みやもと いさを)1930-1996 騎手、調教師

・三好 胖(みよし ゆたか)1852-1868 新撰組隊士・差圖役

・村田 忠禧(むらた ただよし)1946- 歴史學者、横濱國立大學名譽教授、神奈川縣日中友好協會副會長

村松 暎(むらまつ えい)1923-2008 中國文學者、作家、慶應義塾大學名譽教授

・邨岡 良弼(むらをか りやうすけ)1845-1917年 法制官僚、法制史學者、歴史學者

・元田 永孚(もとだ ながさね / えいふ)1818-1891 熊本藩士、儒学者、男爵

・本居 豐穎(もとをり とよかひ)1834-1913年 國學者、紀州藩本居家四世當主(本居宣長の義理の曾孫)

・森川 倶志(もりかは ともゆき)1936- バンドネオン奏者、タンゴ生演奏の店『アンサンブル』代表

・森口 豁(もりぐち かつ)1937- ジャーナリスト

・森 杲(もり たかし)1936- 經濟史學者、北海道大學名譽教授

・森 矗昶(もり のぶてる)1884-1941 衆議院議員森コンツェルン創設者

 

ヤ行

・柳生 宗盈(やぎう むねみつ)1692-歿年不詳、大和柳生藩の世嗣(通稱・帶刀)宗重とも名乘る

・柳澤 信尹(やなぎさは のぶただ)1659-1724 旗本(通稱・助九郎のち八郎右衞門、豐後守、備後守)

・柳澤 主尹(やなぎさは もりただ)1785-1851 旗本(通稱・吉太郎のち八郎右衞門)

・山内 豐雍(やまうち とよちか)1750-1789 土佐藩第九代藩主

・山内 豐熈(やまうち とよてる)1815-1848 土佐藩第十三代藩主

・山内 溥(やまうち ひろし)1927-2013 任天堂株式会會社元社長

・山形 敞一(やまがた しやういち)1913-1998 内科醫(專門・消化器病學)、東北大學名譽教授、勳二等瑞寶章

・山口 弘敞(やまぐち ひろあきら)1812-1862 常陸牛久藩第十一代藩主

・山崎 昶(やまざき あきら)1937- 化學者、理學博士

・山崎 烝(やまざき すすむ)1833頃-1868 新撰組隊士(諸士調役兼監察)

・山田 晁(やまだ あきら)1884-1963 ダイキン工業創業者

・山田 爲暄(やまだ ためのぶ/ためはる/いけん)1842‐1911 福岡縣知事、警視總監、貴族院議員

・山本 暎一(やまもと えいいち)1940- 映畫監督、アニメ監督、演出家、脚本家、アニメーター、プロデューサー、小説家

・山本 巍(やまもと たかし)1945 哲學者、元東京大學總合文化研究科教授

・山岡 浚明(やまをか まつあけ)1726-178 國学者、旗本(字名・子亮、號・梅橋散人、通稱・左次右衞門、明阿彌)

・横田 尹松(よこた ただとし / ただまつ)1554-1635 旗本

・吉田 璋也(よしだ しやうや)1898-1972 民藝運動家、醫師

・吉田 悳(よしだ しん)1887-1965 陸軍中將

・吉田倬也(よしだ たくや)1933- 元伊藤忠商事副社長、元 JSAT(日本サテライトシテムズ)代表取締役社長

・吉岡 曠(よしをか ひろし)1930-2001 國文學者、學習院大學名譽教授

・米倉 昌尹(よねくら まさただ)1637-1699 江戸幕府若年寄、藏金澤藩主、下野皆川藩初代藩主

・米津 政饒(よねきづ まさあつ)1829-1843 出羽長瀞藩の嫡子

・米津 政懿(よねきづ まさよし)1788-1853 出羽長瀞藩第二代藩主

 

ラ行

(なし)

 

ワ行

・若松 賤子(わかまつ しづこ)1864‐1896 教育家、翻譯家、作家

・鷲尾 隆聚(わしのを たかつむ)1843-1912 公家

・渡邊 驥(わたなべ すすむ)1836‐1896 檢事、貴族院敕選議員(通稱・左太郎)

・井伊 直弼(ゐい なほすけ)1815-1860 近江彦根藩第十五代藩主、江戸幕府大老

・井伊 直咸(ゐい なほとも)1849-不明 大老

・井上 孚麿(ゐのうへ たかまろ)1891年-1978年 歌人、法學者、元臺北帝國大學教授、元法政大學教授、元亞細亞大學教授

・井上 廈(ゐのうへ ひさし)1934-2010 小説家、劇作家、放送作家(作家名・井上 ひさし)

・井上 頼圀(ゐのうへ よりくに)1839‐1914 國學者・國學院教授、女子學習院教授、東京帝大文學博士(通稱・肥後、鐵直)

・猪子 止戈之助(ゐのこ しかのすけ)1860-1944 外科醫、京都帝國大學醫科大學名譽教授、同附属病院初代院長

・岡田 棣(をかだ なろう ※歴假名表記不明)1836-1897加賀藩前田家家臣・軍艦頭取、參事・大參事

・小笠 公韶(をがさ こうせう)1904– 1985 參議院議員(1期)、衆議院議員(5期)

・小笠原 貞孚(をがさはら さだざね / さだちか)1850-1905 播磨安志藩第七代藩主、忠脩系小笠原家十二代

・小笠原 忠忱(をがさはら ただのぶ)1862-1897 豐前國小倉藩第十代藩主、小笠原家宗家十一代

・小笠原 長邕(をがさはら ながさと)1711-1716 豐前中津藩第五代藩主 ※癰の病垂れと隹を取り除いた形

・小笠原 長旌(をがさはら ながはた)生年不詳-1603 武將

・小笠原 長逵(をがさはら ながみち)1713-1770 播磨安志藩第二代藩主、忠脩系小笠原家七代

・小川 光暘(をがは くゎうやう)1926-1995 美術史學者、同志社大學大學院、同志社大文學部教授 (小川晴暘の子)

・小川 晴暘(をがは せいやう)1894-1960 寫眞家、飛鳥園創業者

・岡村 畯兒(をかむら しゆんじ)1885-1943 陸軍軍人(法務官)・陸軍法務中將 ※田偏に俊の旁

・小熊 捍(をぐま まもる)1886-1971 昆蟲學者・農學博士

・尾崎乕四郎(をざき とらしらう)1902-1991 地理學者、東京學藝大學名譽教授

・小田 襄(をだ じやう)1936-2004 日本の彫刻家、國際的金屬造形作家

・小野田 元熈(をのだ もとひろ)1848-191 館林藩士、警察・内務官僚、官選縣知事、貴族院議員、錦鷄間祗候

・小原 駩吉(をはら せんきち)1871-1932 宮内官僚、貴族院議員、男爵 ※馬偏に全

・小山 鞆繪(をやま ともゑ)1884-1976 哲學者

表外漢字含有人名蒐集《1》

 平成26年12月現在、常用漢字表及び人名用漢字表に掲載されてをらず、人名に使用することの出來ない漢字を名前に含む人物を示した。舊字體は除外したが、異體字は掲載したものもある。主にWikipediaを參考とした。

※誤り等ありましたらお知らせ下さい。

※後に追加する可能性もあります。

 

《2》はこちら

表外漢字含有人名蒐集《2》 - floralraft’s blog

 

《1》ア行~タ行

 

ア行

・赤木 曠兒郎(あかぎ くゎうじらう)1934- 洋畫家

・赤澤 璋一(あかざは しやういち)1919-2002 日本貿易振興會第六代理事長、元富士通專務、同副社長、法學士、米國コロラド州名譽州民

・赤山 靭負(あかやま ゆきえ)1823-1850 薩摩藩重臣

・安藝 皎一(あき かういち)1902-1985 河川工學者、資源問題研究者、元東京帝國大學教授、資源調査會初代事務局長、同副会長、國連アジア極東經濟委員會水資源開發局長、元關東學院大學工學部教授、日本河川開發調査會會長

・秋月 種殷(あきづき たねとみ)日向國高鍋藩第十代藩主

昭宮猷仁親王(あきのみや みちひとしんわう)1887-1888 皇族・明治天皇第四皇子

・秋元 逵朝(あきもと みちとも)1739-1759 武藏川越藩の嫡子、從五位下、越中

・秋山 虔(あきやま けん)1924- 國文學者、東京大學名譽教授、日本學士院會員、文化功勞者

・芥川 耿子(あくたがは てるこ)1945- エッセイスト、兒童文學者、詩人

・朝倉 景垙(あさくら かげみつ / かげみち)生年不詳-1564 武將・朝倉氏家臣 ※土偏に光

・淺野 長祚(あさの ながよし)1816-1880 旗本、藏書家、藝術鑑定家

・淺井 洌(あさゐ れつ)1849-1934 舊制中學校・師範學校教師、自由民權運動家

・足利 周暠(あしかが しうかう)生年不詳‐1565 僧侶、室町幕府十二代将軍足利義晴の末子 ※日の下に高

・厚谷 襄兒(あつや じやうじ)1934- 官僚、法學者、北海道大學名譽教授、辯護士

跡部 良弼(あとべ よしすけ)1799-1869 旗本、幕臣(通稱・季十郎、大膳)

・阿部 襄(あべ のぼる)1907‐1980 動物學者・生態學者

・阿部 正暠(あべ まさあきら)1806-1853 上總佐貫藩第六代藩主、備後福山藩阿部家分家七代 ※日の下に高

・阿部 正耆(あべ まさひさ)陸奥白河藩第六代藩主、忠秋系阿部家十四代

・網野 鉦一(あみの しやういち)1934-2006 映畫監督、脚本家、映畫プロデューサー、養成學校經營者

・雨宮 巍(あめみや たかし)1936- 日本福音キリスト教會連合富士見ヶ丘キリスト教會牧師

・有坂 鉊蔵(ありさか せうざう)1868-1941 海軍造兵中将、工學者、海軍造兵廠長、東京帝國大學教授 ※金偏に召

有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんわう)1835‐1895 皇族、政治家、軍人(陸軍大將大勳位功二級)

有栖川宮韶仁親王(ありすがはのみやつなひとしんわう)1785-1845 皇族・有栖川宮第七代當主

・有馬 頼徸(ありま よりゆき)1714-1783 筑後久留米藩第七代藩主、久留米藩有馬家八代、和算家 ※行人偏に童

・青木 一咸(あをき かずひろ)1828-185 攝津國麻田藩第十三代藩主

・安西 廸夫(あんざい みちを)1929-1999 國文學者・國語教育學者、上越教育大學名譽教授、十文字學園女子大學教授

・池田 清緝(いけだ きよつぐ)1843-1862 因幡若櫻藩(鳥取西館新田藩)第九代藩主

・池田 森臻(いけだ しげよし)1696-1770 岡山藩中老、仕置家老(通稱・三郎左衞門、勘解由)

・池田 庸熈(いけだ つねひろ)1743-1764 武士(通稱・市之丞)

・池田 長溥(いけだ ながひろ)1803‐1853 旗本(通稱・修理)

・池田 長仍(いけだ ながゆき)1725-1796 岡山藩の家老、片桐池田家第六代當主(通稱・主殿、大和、近江)

・池田 齊稷(いけだ なりとし)1788-1830 因幡鳥取藩八代藩主、鳥取藩池田家宗家十代

・池田 政韶(いけだ まさあきら)1734-1758 武士

・池田 政倚(いけだ まさより)1669-1747 備中國鴨方藩第二代藩主

・石川 暎作(いしかは えいさく)1858-1886 大藏官僚、『東京經濟雜誌』編纂者

石谷 穆清(いしがや あつきよ)生年不詳-歿年未詳 旗本

石谷 清暠(いしがや きよあき)1770-歿年未詳 旗本 ※日の下に高

石谷 清夤(いしがや きよのぶ)1702年-1751 旗本 ※夕の下に寅

石谷 清盈(いしがや きよみつ)1723-1766 旗本

石谷 清倚(いしがや せいき)生年未詳-歿年未詳 旗本

・石黒 忠悳(いしぐろ ただのり)1845-1941 日本陸軍軍醫、子爵、醫學博士

・石毛 鍈子(いしげ えいこ)1938- 政治家、市民運動家社会福祉學者 ※金偏に英

・石河 光籌(いしこ みつかず)1746-1809 尾張藩家老、美濃駒塚領主、石河家第七代當主

・石田 磊(いしだ らい)1903-1987 商工官僚、實業家、通産省鑛山局長

・石濱 曻之助(いしやま しようのすけ)1891-1943 元力士(四股名・石山曻之助) ※日の下に舛

・石井 邦猷(いしゐ くにみち)1837-1893 官僚

・石井 愃一(いしゐ けんいち)1946- 俳優

・石井 忠躬(いしゐ ただみ)1837-1883 肥前蓮池藩家老、又左衞門家第十代當主

・石井 倶寛(いしゐ ともひろ)1864-歿年不詳 岡山藩士、教師、實業家、市議會議員、市參事會員

・板倉 勝晙(いたくら かつあき)1784-1804 備中松山藩第五代藩主、板倉家宗家十一代 ※日偏に俊の旁

・板倉 勝弼(いたくら かつすけ)1846-1896 備中松山藩高梁藩)第八代藩主、子爵、板倉家宗家十四代

・板倉 勝殷(いたくら かつまさ / かつたか) 1820-1873 上野安中藩第六代藩主、重形系板倉家八代

・板倉 勝氐(いたくら かつもと)1788-1806 備中國庭瀬藩第六代藩主、重宣系板倉家七代 ※低の旁

・市村 瓚次郎(いちむら さんじらう)1864-1947 歴史學者(專門・東洋史)、國學院大學學長、東京帝國大學名譽教授 ※王偏に贊

・市橋 長璉(いちはし ながてる)1733-1785 近江仁正寺藩第六代藩主、仁正寺藩市橋家七代 ※王偏に連。長輝とも

・出羽 元倶(いづは もととも)1555-1571 毛利氏の家臣

・伊東 祐丕(いとう すけひろ)1797-1814 日向飫肥藩第十二代藩主、從五位下、修理大夫

・伊藤 善韶(いとう ぜんせう)1730‐1804 儒学者三河國擧母藩藩校崇化館初代學頭(通稱・忠藏)

・伊東 尹祐(いとう ただすけ)1468-1523 日向國の戰國大名

・伊藤 雋吉(いとう としよし)1840-1921 武士、海軍軍人、海軍中將正二位勳一等功三級男爵

・伊東 長?(いとう ながとし)1844-1900 備中岡田藩第十代藩主 ※卆の下部の左右に百と千、壽の異體字の一つ

・稲垣 千穎(いながき ちかひ)1845-1913 國學者、東京師範學校教諭、歌人、唱歌作詞者、教科書編輯者(通稱・眞二郎)

・伊奈 忠逵(いな ただみち)1690-1756 關東郡代(通稱・半左衞門)

・伊奈 忠盈(いな ただみつ)1776-歿年不詳 旗本(通稱・小三郎)

・稻葉 正諶(いなば まさのぶ)1749-1806 山城淀藩第七代藩主、正成系稻葉家宗家十一代 ※言偏に甚

・岩城 隆韶(いはき たかつぐ)1708‐1745 出羽龜田藩第五代藩主

・岩崎 昶(いはさき あきら)1903-1981 映畫評論家、映畫製作者

・岩崎 泰頴(いはさき やすひで)1936- 地球科學者(地質學、古生物學專門)熊本大學名譽教授

・岩佐 銈(いはさ けい)1878-1938 圍碁の棋士、方圓社六代目社長・日本棋院設立者、追贈八段 ※金偏に圭

・岩元 禧(いはもと き)1879-1944 内務官僚、官選沖繩縣知事、鹿兒島市長

・岩井 直溥(いはゐ なほひろ)1923-2014 作曲家、編曲家、指揮者

・内田 莉莎子(うちだ りさこ)1928-1997 翻譯家、兒童文學者、ロシア文學者

・内海 孚(うつみ まこと)1934- 元大藏官僚

・上野 矗(うへの ひとし)1937- 心理學者、大阪教育大學名譽教授

・浦野 烋興(うらの やすおき)1944- 衆議院議員、科學技術廳長官

・浦 元襄(うら もととし)1795‐1870 長州藩重臣 ※通稱・靱負(ゆきえ)

・植村 家壷(うゑむら いへひろ)1847-1920 大和高取藩第十四代藩主

・江口 渙(えぐち きよし / かん)1887-1975 小説家 ※戰後「きよし」から「かん」に改名した。

・海老原 穆(えびはら ぼく)1830‐1901 ジャーナリスト、陸軍軍人(陸軍大尉)、武士

・小川 莚喜(おがは のぶき)1895-1944 海軍軍人

・沖原 光孚(おきはら くわうふ)1848‐1931 陸軍軍人(陸軍中將)、男爵

・奥平 昌猷(おくだひら まさみち)1813-1842 中津藩第七代藩主、中津藩奥平家十一代

・奥平 昌邁(おくだひら まさゆき)1855-1884 豐前中津藩第九代藩主、中津藩奥平家十三代

・奥村 悳一(おくむら とくいち)1934- 經營學者、立正大學名譽教授、横濱國立大學名譽教授

・奥村 煕殷(おくむら ひろたか)1730-1746 加賀藩重臣、加賀八家奥村分家第八代當主(通稱・喜十郎、内記)

・奥村 悳輝(おくむら やすてる)1653-1705 加賀藩年寄、加賀八家奥村分家第三代當主

・奥村 榮輇(おくむら よしあき)1745-1764 加賀八家奥村家宗家第九代當主 ※車偏に全

・奥 保鞏(おく やすかた)1847‐1930 元帥陸軍大將從一位大勳位功一級伯爵

・織田 長迢(おだ ながとほ)1642-1718 旗本(通稱・多門、平八郎、自齋)

・織田 長孺(おだ ながつぐ)1769-1837 旗本(通稱・龜五郎、大膳、鷹巖)

・織田 長猷(おだ ながみち)1852-1880 大和芝村藩主織田長易の長男(通稱・敬之助)

・織田 信賁(おだ のぶあつ)1741-1757 上野小幡藩の嫡子

・織田 信弌(おだ のぶかず)生年不詳- 1582 武將(通稱・勘七郎)

・織田 信彭(おだ のぶみち)1760-歿年不詳 旗本(通稱・勝五郎、彌十郎

・織田 信憑(おだ のぶより)1741-1832 丹波柏原藩第四代藩主、高長系織田家七代(通稱・萬五郎、大學)

・及川 馥(おひかは かをる)1932- 學者、文學者、愛國學園大學教授

・大出 晁(おほいで あきら)1926-2005 哲學研究者、慶應義塾大學・創價大學名譽教授

・大草 公弼(おほくさ きみすけ) 1775‐1817 國學者、隨筆家、幕臣(通稱・熊藏、熊吉、大次郎)

・大久保 諶之丞(おほくぼ じんのじよう)1849-1891 政治家 ※言偏に甚

・大久保 忠愨(おほくぼ ただなほ)1829-1859 相模國小田原藩第八代藩主、小田原藩大久保家十代

・大久保 教翅(おほくぼ のりのぶ)1765-1796 駿河松長藩第五代藩主(のち相模荻野山中藩初代藩主)、荻野山中藩大久保家五代

・大角 岑生(おほすみ みねお)1876-1941海軍軍人、政治家、華族、海軍大將、男爵

・大谷 瑩誠(おほたに えいじやう)1887-1948 淨土眞宗の僧、眞宗大谷派連枝、東洋學者、第十三代大谷大學學長

・大谷 瑩潤(おほたに えいじゆん)1890-1973 淨土眞宗の僧、眞宗大谷派連枝、同派函館別院住職、同派宗務總長

・大谷 洌子(おほたに きよこ)1919(1921?)-2012 聲樂家(ソプラノ)、歌手

・大谷 光瑩(おほたに こうえい)1852-1923 淨土眞宗の僧、本願寺第二十二代法主、眞宗大谷派管長伯爵

・大塚 霍之丞(おほつか かくのじよう)1843‐1905 幕臣彰義隊

・大友 義閭(おほとも よしさと)1665-1733 旗本(通稱・長十郎、孫十郎)

・大村 純熈(おほむら すみひろ)1831-1882肥前大村藩第十二代藩主

・大森 鍾一(おほもり しよういち)1856-1927 内務官僚、政治家、貴族院議員、樞密顧問官、皇太后宮大夫、男爵

 

カ行

・河野 稠果(かうの しげみ)1930- 人口學者、麗澤大學名譽教授

・笠間 杲雄(かさま あきを) 1885-1945外交官、イスラーム圈專門家

・鹿島 曻(かしま のぼる)1926-2001 辯護士、在野の古代史研究家

・加瀬 禧逸(かせ きいつ)1873-1928 衆議院議員、辯護士

・片岡 曻(かたをか のぼる)1925- 法學者(專門・勞働法) ※日の下に舛

・梶谷 鐶(かぢたに たまき)1909-1991 外科醫

・加藤 暠(かとう あきら)1941- 相場師 ※日の下に高

・加藤 羆(かとう ひぐま)生年不詳-1867 新撰組隊士

・加藤 泰觚(かとう やすかど)1656-1726 伊豫新谷藩第二代藩主

・加藤 泰儔(かとう やすとも)1783-1872 伊豫新谷藩第七代藩主

・加藤 泰衑(かとう やすみち)1728-1784 伊豫大洲藩第六代藩主 ※衍の三ずいを令に

・加藤 鐐五郎(かとう れうごらう)1883-1970 政黨政治家、衆議院議長法務大臣

・加納 久儔(かなふ ひさとも)1797-1847 伊勢八田藩(阿倉川藩)第五代藩主(のち上總一宮藩初代藩主)、一宮藩加納家五代

・川口 雪篷(かはぐち せつぽう)1819-1890 書家

・河田 羆(かはだ たけし)1842‐1920 地理學者

・河津 暹(かはづ すすむ)1875-1943 經濟學者・社會政策學者、法學博士・東京帝國大學名譽教授

・川淵 洽馬(かはぶち かふま)1883-1946 警察官僚、政治家、縣知事、高知市長、衆議院議員

・河邊 滿甕(かはべ みつかめ)1897-1970 牧師、傳道者、教育者

・河合 耆三郎(かはゐ きさぶらう)1838-1866 新撰組隊士・勘定方

・河相洌(かはゐ きよし)1927- 元盲學校職員、日本初の盲導犬オーナー

・鎌田 景弼(かまた かげすけ / けいすけ)1842-1888 熊本藩士、裁判官・内務官僚、佐賀縣令・知事

・嘉村 礒多(かむら いそた)1897-1933 私小説

・龜井 茲明(かめゐ これあき)1861-189 官僚、寫眞家、龜井伯爵家第十三代當主、華族

・龜井 茲方(かめゐ これかた)1817-1846 石見津和野藩第十代藩主、津和野藩龜井家十一代

・龜井 茲胤(かめゐ これたね)1743-1752 石見津和野藩第六代藩主、津和野藩龜井家七代

・龜井 茲親(かめゐ これちか)1669-1731 石見津和野藩第三代藩主、津和野藩龜井家四代

・龜井 茲常(かめゐ これつね)1884-1942 宮内官僚、津和野藩龜井家第十四代當主

・龜井 茲建(かめゐ これたて)1910-1992 伯爵、舊津和野藩主龜井家第十五代當主、元東北開發株式會社總裁

・龜井 茲長(かめゐ これなが)1688-1726 石見國津和野藩の世嗣

・龜井 茲尚(かめゐ これなほ)1819-1830 石見津和野藩第九代藩主、津和野藩龜井家十代

・龜井 茲延(かめゐ これのぶ)1736-1743 石見津和野藩第五代藩主、津和野藩龜井家六代

・龜井 茲矩(かめゐ これのり)武將、因幡鹿野藩初代藩主

・龜井 茲政(かめゐ これまさ)1617-1679 石見津和野藩第二代藩主、津和野藩龜井家三代

・龜井 茲監(かめゐ これみ)1825-1885 石見津和野藩第十一代藩主、津和野藩龜井家十二代

・龜井 茲滿(かめゐ これみつ)1713-1736 石見津和野藩第四代藩主、津和野藩龜井家五代

・龜井 茲休(かめゐ これやす)1750-1767 石見津和野藩第六代藩主龜井茲胤の長男(通稱・直八郎)

・加屋 霽堅(かや はるかた)1836-1876 熊本藩士、熊本錦山神社神官、神風連副首領、敬神黨代表

・金成 广知(かんなり まち)1875-1961 アイヌ女性・ユーカラ傳承者 ※金成マツとも。アイヌ名はイメカヌ又はイメカノ。

・岸部 陞(きしべ すすむ)1936- 醫師、秋田縣北秋田市初代市長

・北島 驥子雄(きたじま きねを)1888-1975 日本陸軍中將

・北村 治禧(きたむら はるよし)1915-2001 彫刻家、日本藝術院會員

・北 昤吉(きた れいきち)1885-1961 思想家、評論家、政治家、教育者 ※日偏に令

・木戸 美摸(きど よしのり)1937- 元プロ野球選手

・木下 俊懋(きのした としまさ)1772-182 豐後日出藩第十一代藩主

・木下 俊愿(きのした としまさ)1837-1880 豐後日出藩第十六代藩主

・木村 禧八郎(きむら きはちらう)1901-1975 經濟評論家、日本社會黨參議院議員

・木村 重茲(きむら しげこれ)生年未詳-1595 豐臣氏家臣(通稱・隼人正、常陸介)

・京極 高迢(きやうごく たかとほ)1741-1762 讚岐國丸龜藩の世嗣

・清澤 洌(きよさは きよし)1890-1945 ジャーナリスト、評論家

・桐原 葆見(きりはら しげみ)1892-1968 心理學者、僧侶、第十四代淨樂寺住職

・九鬼 隆晁(くき たかあき)1762-1779 丹波綾部藩の世嗣(幼名・安三郎)

・久々湊 盈子(くくみなと えいこ)1945- 歌人、歌誌「合歓」編集發行人、日本歌人クラブ中央幹事

・葛原 𦱳(くずはら しげる)1886-1961 童謠詩人、童謠作詞家、童話作家、教育者、福山市名譽市民 ※前の上部に幽の中央の縱線のない字。滋の舊體。

・久須美 祐雋(くすみ すけとし)1796‐1864 旗本(通稱・權兵衞、六郎左衞門)

・久世 綏之(くぜ やすゆき)1771(1773?)-1839 下總關宿藩の嫡子

・朽木 稙綱(くつき たねつな)1498?-1546?、1549?、1562? 武將、近江國朽木谷の國人

・朽木 稙綱(くつき たねつな)1605-1660 近江朽木藩主、のち下野鹿沼藩主、常陸土浦藩初代藩主、福知山藩朽木家初代

・朽木 稙綱(くつき たねつな)1711-1726 丹波福知山藩第三代藩主、福知山藩朽木家四代

・朽木 稙治(くつき たねはる)1665-1741 丹波福知山藩第四代藩主、福知山藩朽木家五代

・朽木 稙昌(くつき たねまさ)1643-1714 常陸土浦藩第二代藩主(のち丹波福知山藩初代藩主)、福知山藩朽木家二代

・朽木 稙元(くつき たねもと)1664-1721 丹波福知山藩第二代藩主、福知山藩朽木家三代

・久納 好孚(くなう かうふ)1921-1944 海軍軍人

・邦彦王妃俔子(くによしわうひ ちかこ)1879-1956 久邇宮邦彦王の妃。香淳皇后の母。今上天皇の外祖母。

・久原 躬弦(くはら みつる)1856-1919 化學者、京都帝國大學總長、第一高等中學校校長

・久保田 畯(くぼた たをさ)1897-1991 内務・警察官僚、辯護士、官選福井縣知事、陸軍司政長官 ※田に俊の旁

・熊谷 岱藏(くまがひ たいざう)1880-1962 内科學者、醫學博士、東北帝國大學醫科大學教授、總長、附属抗酸菌病研究所初代所長、興亞工業大學顧問、從二位、勳一等旭日大綬章

・倉塚 曄子(くらつか あきこ)1935-1984 女性史研究者

・黒田 長韶(くろだ ながつぐ)1789-1840 筑前秋月藩第九代藩主

・黒田 長溥(くろだ ながひろ)筑前福岡藩第十一代藩主

・栗本 鋤雲(くりもと じようん)1822-189 幕臣、思想家

・小池 正晁(こいけ まさあき)1884-1941 陸軍軍人、貴族院議員、陸軍軍醫總監、正三位、勲二等、醫學博士、男爵

・小出 英筠(こいで ふさたけ / ふさもと)1775-1821 丹波園部藩第七代藩主、吉親系小出家七代 ※竹冠に均

・小出 三尹(こいで みつまさ / みつただ)1589-1642 和泉陶器藩初代藩主、陶器藩(秀家系)小出家初代

・古坂 嵓城(こさか がんじやう)1888-1974 青山學院大學學長、青山學院院長・理事長 ※山の下に品

・小崎 愃(こざき けん)1939- 元アナウンサー

・近衞 忠煇(このゑ ただてる)1939- 現近衞家當主、國際赤十字赤新月社連盟(IFRC)會長、日本赤十字社社長、特定非營利活動法人日本紛争豫防センター顧問、公益財團法人日本國際フォーラム參與 ※火偏に軍

・近衞 信尹(このゑ のぶただ)1565-1614 公家

・近衞 熈子(このゑ ひろこ)1666-1741 徳川家宣正室

・近衞 甯子(このゑ やすこ)1944- 元皇族・舊名、甯子内親王、近衞忠煇(日本赤十字社社長)夫人、勳一等、文學士(學習院大學)。※蜜の虫を用の左を拂はない形に

・小林 藹(こばやし しげり/しげる)生年不詳‐1916 越後長岡藩士、裁判官、司法官、大審院判事

・小林 躋造(こばやし せいざう)1877‐1962 海軍軍人(大將)、小磯國昭内閣の國務大臣

・小松 清穆(こまつ きよあつ)1793-1856 薩摩藩

・小松 清猷(こまつ きよもと / きよみち)1827-1855 薩摩藩

・小宮 曠三(こみや くゎうざう)1917-1995 ドイツ文學者、東京大學名譽教授

 

サ行

・齋藤 晌(さいとう しやう)1898-1989 哲學研究者、東洋大學名譽教授、明治大學名譽教授 ※日偏に向

・齋藤 守圀(さいとう もりくに)1884‐1945 内務官僚

・齋藤 瀏(さいとう りう)1879‐1953 陸軍軍人、歌人

・榊原 政岑(さかきばら まさみね)播磨姫路藩第三代藩主、榊原家宗家八代當主

・阪本 釤之助(さかもと さんのすけ)1857‐1936 官僚、政治家 ※金偏に形の旁

・酒井 鎬次(さかゐ かうじ / たかつぐ)1885-1973 陸軍軍人・陸軍中將

・酒井 重盈(さかゐ しげみつ)1651-1706 出羽庄内藩家老、番頭、組頭(通稱・吉之丞)

・酒井 忠藎(さかゐ ただえ※歴假名不明)1781-1833 越前國敦賀藩第六代藩主、忠稠系小濱藩酒井家別家六代、飛騨守(初名・忠明)※草冠に盡

・酒井 忠稠(さかゐ ただしげ)1653-1706 越前敦賀藩初代藩主、忠稠系小濱藩酒井家別家初代、若狹小濱藩第二代藩主

・酒井 忠囿(さかゐ ただその)1671-1706 若狹小濱藩第四代藩主、小濱藩酒井家五代

・酒井 忠鄰(さかゐ ただちか)1747-1809 安房勝山藩第五代藩主

・酒井 忠儔(さかゐ ただとも)1715-1750 上野伊勢崎藩の嫡子、從五位下、近江守

・酒井 忠毗(さかゐ ただます)1815-1876 越前敦賀藩第七代藩主、忠稠系小濱藩酒井家別家七代 ※田の右に比

・笹尾 粂太郎(ささを くめたらう)1871-1941 哲學者

・佐竹 僴一郎(さたけ かんいちらう)1885-1937 陸軍軍人・騎兵大佐

・佐竹 義寘(さたけ よしおき)1633‐1665 佐竹式部少輔家初代、從五位下式部少輔(通稱・所化丸、四郎三郎)※ウ冠に眞

・佐竹 義諶(さたけ よしつま / よしみち)1837-1870 出羽秋田新田藩(岩崎藩)の第八代藩主、從五位下壱岐守、播磨守(通稱・東直五郎、求馬) ※言偏に甚

・佐竹 義敞(さたけ よしとし)1650‐1700 佐竹南家六代當主

・佐竹 義祚(さたけ よしとし)1817-1858 久保田藩重臣佐竹東家十八代目當主

・佐竹 義躬(さたけ よしみ)1749-1800 佐竹北家第十三代當主、佐竹北家角館第六代所預

・佐伯 千仭(さへき ちひろ)1907‐2006 刑法・刑事訴訟法學者、辯護士、元京都帝國大學教授、立命館大學名譽教授

・佐伯 胖(さへき ゆたか)1939- 認知心理學者、東京大學名譽教授、青山學院大學教授

・猿田 悳(さるた とく)1926-1975 ドイツ文學者、音樂評論家、富山大學講師、金澤大學助教授、慶應義塾大學經濟學部助教授、教授

・重野 安繹(しげの やすつぐ)1827-1910 漢學者、歴史家、文學博士

・重森 弘淹(しげもり こうえん)1926-1992 寫眞評論家

・重岡 曻(しげをか のぼる)1908-1991 劍道家

・宍戸 璣(ししど たまき)1829-1901 長州藩士、政治家、官僚、子爵 ※王偏に幾

・柴田 侊彦(しばた てるひこ)1943- 俳優、聲優

・島田 磬也(しまだ きんや)1909-1978 作詞家

・白石 葭江(しらいし よしえ)1873-1904 海軍軍人・海軍少佐、從六位勳四等功四級

・白瀬 矗(しらせ のぶ)1861-1946 陸軍軍人、南極探檢家

・須賀田 礒太郎(すがた いそたらう)1907‐1952 作曲家

・菅沼 定盈(すがぬま さだみつ 1542-1604 野田菅沼氏三代目當主、上野阿保藩

・菅沼 定仍(すがぬま さだより)1576-1605 上野阿保藩主、伊勢長島藩初代藩主

・杉山 暎一(すぎやま えいいち)1942-2011 實業家

・椙山 正弌(すぎやま まさかず)1879-1964 尾張藩士族、教育者、椙山女學園初代學園長・理事長

・鈴木 炤成(すずき あきなり)1917- 映畫プロデューサー、作家、元大映京都撮影所長 ※火偏に召(筆名・鈴木晰成)

・鈴木 朖(すずき あきら)1764-1837 儒學者、國學者(通稱・常介)※朗の異體字

・鈴木 皖武(すずき きよたけ)1941- 元プロ野球選手

・鈴木 悳夫(すずき のりを)1940-2007 プロ野球選手

清閑寺 熈定 (せいかんじ ひろさだ)1662-1707 公卿 ※本姓・藤原

・清 崟太郎(せい きんたらう)1874-1921 衆議院議員(立憲政友會)

・瀬川 鍈治(せがは えいじ)1937-1992 俳優(藝名は郷 鍈治)※金偏に英

・關口 鍈太郎(せきぐち えいたらう)1896-1981 造園家、造園研究者、林學者 ※金偏に英

・關谷 晧元(せきや かうげん)1935- 宗教家・DIL(Discovery of Inner light)代表

・瀬名 弌明(せな かずあき)1659-1743 旗本

・瀬名 弌秀(せな かずひで)生年不詳-歿年不詳 武將

・芹澤 銈介(せりざわ けいすけ)1895-1984 染色工藝家 ※金偏に圭

・宗 方熈(そう みちひろ)1696-1760 對馬府中藩第七代藩主

『ナナ』エミール・ゾラ著

 『ナナ』はエミール・ゾラの『ルーゴン=マカール叢書』のうちの一篇で、第九篇に當る。私は、ゾラの著作を讀むのはこれが初めてであつた。

 ナナは男性を肉感的に引きつけてやまない女性として描かれる。何人もの男性が登場するのだが、どれもナナに戀焦がれ、金を吸ひ取られて次々と破滅してゆく。ミュファ伯爵といふ人物も登場するのだが、この伯爵さへもナナの魅力に抗することはできず、金を貢ぐことはもちろん、彼女の無茶な要求を受け入れたり、子供の口眞似をさせられたり、熊の眞似をさせられて四つん這ひで走らされるなどの屈辱的な扱ひを受けるが、それでもナナを愛し續ける。前述の通り、伯爵に限らず、それまでは譽れ高かつた紳士たちも、破産したり自殺したりして破滅に追ひ込まれてゆく。これは恐ろしいほどであり、讀者はナナの力をこれでもかといふほど見せつけられるわけだが、ナナの内面、人間臭さもまた作中にはぎつしりと書き込まれてをり、親しみを抱かせる。

 男達から金をせびり取つて凋落させてゆく女といふと、非常に自己中心的な、惡い性格の印象が浮ぶ。しかしナナは必ずしもそれだけではなく、家を訪れた怪しい男達から『貧民』の話を聞き、感動して涙を流しながら『寄附』をする場面もある(しかしその後、これが詐欺だと知つてゐたかのやうな發言をする描寫もある)。時には少女のやうにあどけない一面をも見せつつも男を惑はし、民衆を熱狂の渦に卷き込み、贅澤と濫費の限りを盡すが、やがて天然痘にかかり、醜い姿となつて死んでゆく。この小説に書かれた一聯の出來事も、大方はナナの意志によらずして起つたもので、ナナもまた運命に翻弄された人間だつたのかと思はされる。

 登場人物が多く覺えるのが少々厄介ではあつたが、當時の貴族階級の人間模樣や、娼婦や劇團員たちの暮しぶり等が全體に詳しく書かれてゐて興味深かつた。又、厚さから感じるほどの長さは餘り感じなかつた。自然主義の小説といふのはかういふものかと思ひながら讀むよい機會にもなつたかと思ふ。

・ナナ エミール・ゾラ著 川口篤・古賀照一訳 新潮文庫

『春琴抄』谷崎潤一郎著

 谷崎潤一郎の作品を讀むのは實はこれが初めてである。段落がほとんどなく句讀點も所々つけられてゐない谷崎の文章は私にとつて新鮮であつたが、それがこの小説の持つ獨特の雰圍氣を形作つてゐた。

 盲目といふやや俗世間から離れた環境の中での生活、更に既に冒頭で春琴も佐助も死亡してをり過去の話であることが示されてゐることで、讀者と春琴たちの間には一定の距離があり、物語は鴫澤てるの證言と「鵙屋春琴傳」なる小册子を頼りにして書かれてゐるといふ設定で、その曖昧さがますます春琴が讀者にも性格以外ほとんど完璧な人物のごとく感じさせる要因となつてゐるのではないかと思はれる。

 佐助の春琴への獻身ぶりは餘りにもすさまじい。これは普段の私たちの生活からは到底想像もつかないほどのもので、春琴がいくら美しいとはいへ幼い頃から春琴を慕ひ愛し續けてきた佐助だからこそできることなのであらう。佐助に對しての春琴の態度は決して温かいと言へるものではないが、ここに二人の獨特な愛の形があり、確かな絆が存在することは容易に察せられる。佐助は春琴が盲目であり、氣位が高いからこそ、このやうな愛の形を作り出し、春琴に奉公し續けることができたのではないか。顏に火傷を負つた春琴のために眼を針で突き盲目になるなどといふ行爲は、中々できるものではない。盲人となつた佐助が春琴に報告へ行き、二人が相擁して泣く場面は、恐ろしくはあるが感動的であつた。

・春琴抄 谷崎潤一郎著 新潮文庫

『中二病』などのレッテル

 最近になつて、インターネット上でよく見掛けるやうになつた言葉の一つに『中二病(廚二病)』がある。中二『病』とは言つても病氣ではなく、これは『中學二年生頃に見られる背伸びしがちな行動や言動』を揶揄するもので、「しばしば中二病として嘲笑の対象となるのは本人が自己設定した(外部から見れば片腹痛いような)奇異なキャラクターを周囲に押し付けるような振る舞い」(ウィキペディアより)だと言ふ。はつきりとした定義が定められてゐるわけではないのだらうが、大體はこのやうな意味合ひで用ゐられてゐる言葉である。

 この『中二病』といふ言葉は、樣々な人間の發言を容易に見ることのできるネット上では人の行動をからかふ道具としてかなり使はれるやうになつて來てゐるのだが、そのことについて少し言ひたいことがある。それは、『人と異なる行動をする人間を見つけるとすぐに「中二病だ」とレッテル貼りをする人間』がゐることである。

 前回に書いた「『ネトウヨ』の定義」といふ記事でレッテル貼りについては既に書いたのだが、それはそれだけレッテル貼りといふ行爲が浸透し濫用されてゐるといふことの證でもあらうし、ネット上に氾濫するレッテル貼りにうんざりしてゐるのは私ばかりではなからう。これは結構深刻な問題を孕んでゐるやうにも思はれる。

 さて、『人と異なる行動をする人間を見つけるとすぐに「中二病だ」とレッテル貼りをする人間』だが、これがよく見掛けられるのである。最初は私も『中二病』といふ言葉を面白がつてゐたのだが、餘りにも何も考へずに『中二病』認定をする人間たちを見てゐるうちに、果してこれでよいのだらうかと考へ始めた。彼らはその行動にその人なりの信念が込められてゐたとしてもそんなものには目を向けようともせず、レッテル貼りをして喜ぶだけである。そして『かういふ理由でかういふことをしてゐる』と説明しても、この説明は中二病でないことを必死に證明しようとしてゐるだけのものだ、自覺がない中二病だな、と受け取り當然耳を貸さうともしない。自分では理由があると思ひ込みつつかかつてゐることがあるのが『中二病』だからであり、これは『中二病』の定義が『ネトウヨ』と同じく曖昧であるがゆゑの現象である。

 私はこれと似たものに、近年流行つてゐる『自己滿足』『僞善』が擧げられると思ふ。何か社會的に『善い』ことをしようとした、或いはしてゐる人間に、かういつた言葉を浴びせる者がゐる。もちろん私はその行爲が本當に『自分の自尊心を滿たすためだけにやつてゐる』場合、『相手に對價を求めてゐる』『人のためになつてゐない』『有難迷惑になつてゐる』場合、それを知つてゐるのにも拘はらず「『善い』ことをしてゐるのだからいいぢやん」と續けてゐる場合、『善い』ことをしてゐる一方で『善い』心と『矛盾した惡行を働いてゐる』場合、には『自己滿足』『僞善』が當て嵌ると思ふ。しかし「あツ、こいつ『善い』ことをした! 僞善だ! 單なる自己滿足だろ!」といふ風潮はいかがなものかと思ふ。それが自己滿足や僞善なのかそうでないのか、見ただけで分るわけがない。『自己滿足』『僞善』レッテル貼りを繰り返してゐる人間は、さういつたレッテル貼りをされる可能性がある奉仕活動は格好惡いと思つてゐる。そして、自分は格好の惡い奉仕活動なぞといふものはやらない、といふことを證明するためにレッテル貼りをするのである。そして『中二病』と同樣、本人の言葉には耳を貸さない。

 『中二病』『自己滿足』『僞善』と言はれたくないためには、何もしなければよい。しかしそれでよいのだらうか。私にはそれが最善の選擇だとは思へない。所詮この世の中では何をしようが理解してくれない人間、けちをつける人間は山ほどゐるのだから、そんなものを氣にしてゐたならばきりがない。どちらを選んでも大して變らないのであれば自分が正しいと思ふこと、好きなことをすればよいと思ふ。レッテル貼りを恐れてゐては始まらないし、レッテル貼りのために何かをやめてしまふのはもつたいないことである。それが本當の自己滿足、僞善でないならば、他人に迷惑を掛けてゐないのならば、どんどんとやつてしまへばよいではないか。

『はつかねずみと人間』ジョン・スタインベック著

 スタインベックの著作を讀むのは、『怒りの葡萄』以來である。『怒りの葡萄』は1930年代の大恐慌の頃に大地主に土地を追はれた農民の過酷な生活と苦しみゑがいたものだつたが、『はつかねずみと人間』もこれと時代はほぼ同じである。

 『怒りの葡萄』に出て來るジョー一家は、初めは家族全員で出發したものの、旅が進むにつれ次々と死亡したり去つてしまつたりしてゐなくなつてしまふ。それでも團結し何とかして生き延びようとする小説であつたが、今回旅をする人間は男二人組で、「組んで旅してる者なんて、めったにない」と珍しがられる場面も出て來る。

 さて、ジョージはレニーといふ厄介者を抱へながら旅をしてゐる訣で、レニーさへゐなければあんなこともできたしこんなことに卷き込まれることもなかつたのに、と愚癡を零す場面が何回かあるが、レニーがジョージにとつて缺かすことのできぬ存在であることは讀者の目からも明らかである。キャンディにとつての老犬も、長い間共に生きて來た、對話をする大切な存在であつたし、クルックスは會話をする相手がをらず孤獨で、自らの部屋にキャンディ達が來たときには怒つたふりをしながらも喜びを感じてゐる。カーリーの妻も夫のことを好いてゐない。彼女が勞働者に用もないのにやたらと話しかけてゐたのは、農場に於て紅一點であることと、夫を愛せぬことゆゑの寂しさの發露でもあつたのかもしれない。キャンディが彼女の遺體に向かつて言つた「かわいそうなやつだ」といふ言葉がそのことを表してゐるやうにも思はれた。

 レニーはハツカネズミを愛する餘り、その強い力で殺してしまふ。子犬も、殺す氣はなかつたのにも拘はらずぶち殺してしまひ、カーリーの妻までも殺害してしまつた。カーリーの妻やウィードの女についてはさうではないが、レニーは愛する對象をかはいがり過ぎたために、その力を制禦することができなかつたのである。しかしこれはレニーのみならずジョージにも言へる。彼はレニーを愛し過ぎてゐた。だから、レニーを農場の男たちにリンチさせることよりも、一瞬で射殺することを選んだのである。これは正しい選擇だつたのか、その答へは讀者の考へに委ねられてゐる。しかし、死んだカーリーの妻は、「その顔からは卑しさも、たくらみも、不満も、注目されたいという疼きも、すべて消えていた。彼女はとても美しく、あどけなく、その顔はかわいらしく、若々しかった」と描寫されてゐる。死んでやつと、彼女は女優になれなかつたことへの不滿や夫への憎惡から解放されることができた。それならばレニーも、この世の全ての負の感情から、逃れることができたと見るべきなのかもしれない。

スタインベック全集 4 はつかねずみと人間<小説・戯曲>大阪教育図書 / はつかねずみと人間<小説>高村博正訳

『ネトウヨ』の定義

 最近になつてよく見掛けるやうになつた『ネトウヨ』といふ言葉。テレビ番組等でも取り上げられたので、知つてゐる方も多いであらう。この間ツイッター上でこの言葉に關する議論が展開されてゐるのを見て、はつと氣づかされたことがあつた。今回はそのことについて書きたいと思ふ。

 『ネトウヨ』といふ言葉そのものは『ネット右翼』の略稱である。つまり、インターネットを利用して右翼的意見の投稿等を行ふ人たちのこと、のはずなのだが……この言葉はどのやうな人間が對象になるのか、がよく問題になつてゐる。

 なぜ問題になるのかと言ふと、この言葉には蔑稱的な意味合ひが非常に濃いためである。『ネトウヨ』といふ言葉を使ふのは主に『反・ネトウヨ』の立場の人間であり、大體は『ネトウヨ』に對する批判や嘲笑と共にこの言葉は用ゐられる。自ら進んで『ネトウヨ』と名乘つてゐる者は、この言葉にまとはりつくこの惡いイメージを拂拭すべく、敢てさう名乘つてゐる場合が多いやうに見受けられる。それでも『ネトウヨ』といふ言葉に込められた蔑稱的意味合ひは未だに強い。

 かうして定義が明瞭にならぬまま、「ネトウヨ=差別主義者」「ネトウヨ=低學歴」「ネトウヨ=引きこもり」「ネトウヨニート」「ネトウヨ=社會の最底邊」「ネトウヨ=韓國のことしか頭にない人間」「ネトウヨ=氣持ち惡いオタク」といつた發言が『反・ネトウヨ』の、一部の著名人をも含めた人間から繰り返されることとなり、逆の立場の人間からは「ネトウヨ=普通の日本人」「ネトウヨ=愛國者」だといふ反論がなされ、兩派からの罵倒の應酬が今に至るまで繰り廣げられ續けてゐる。

 どうしてかうなつたのか少し考へてみたが、要するに左派は、自分にとつて不快な發言をする人間を汚れきつた最低人間の屬性に押し込みたいのであり、右派は自分が散々に罵倒されてゐる『ネトウヨ』に自分が含まれてゐるのかどうかはつきりせず、ネット上の右派批判にはいつも『ネトウヨ』といふ言葉が使はれてゐる状態に怒りを覺えてゐるのであらう。

 ここでいくつか言ひたいことがある。

 一、ネット上での活動を行ふ右派にとつて、定義もはつきりしないまま罵倒され續ける『ネトウヨ』に、自分が加はつてゐないかどうかを心配するのは至極當然である。

 二、『ネトウヨ』は變更可能な屬性ではない。

 一、については當然のことであらう。「ネトウヨはなんで『ネトウヨ』は存在しないと言ひ張るのにネトウヨと呼ばれると怒るの?(笑)」のやうな文章を見掛けたことがあるが、「『ネトウヨ』は存在しない」といふのは上に述べたやうな「ネトウヨは普通の日本人。日本人として國を思ふのは當り前」といつた考へ方から來てゐると思はれる。私からすれば「ネトウヨ=日本人」といふのは行き過ぎであると思はれる。日本を思ひ、愛國心を持つのは大切なことだが、ネットでさういつた主張を行ふ人間が日本人の大半を占めてゐるとは到底考へられないからである。

 ただ、自分が含まれてゐるのか不明瞭な屬性であつても、さういつたものに對する罵倒表現を目にすればある程度の怒りは覺えるものではなからうか。ましてや『ネトウヨ』は先にも述べたやうに、字面からは「ネットで活動する右翼」以外にほとんど情報を讀み取ることができず、もちろん辭書にも説明は載せられてゐない。更にネット上では「かういふ奴がネトウヨだ」「この時點でこいつはネトウヨ」などと、掌握しきれぬほど多くの主張、説が飛び交つてゐるのである。

 次に二、について。「『在日』は變更不可能な屬性なので差別すれば差別だが、『ネトウヨ』は今すぐにでも變更可能なので差別しても差別ではない」といふ説には、正直に言ふと「さうかもしれない」と思つてしまつてゐた。しかしそれは違ふ。『ネトウヨ』は外部の人間からのレッテル貼りに他ならない。そしてその定義は不明確で人によつてまちまちである。更に最近は安倍首相までもが『ネトウヨ』と呼ばれる事態にまでなつてをり、既に『ネトウヨ』が『自分が氣に入らない保守思想の人間に貼るレッテル』になつてしまつてゐることは明確である。よつて『ネトウヨ』とやたらにレッテル貼りをする、最近の『反・ネトウヨ』界隈の行動は差別であると言へる。

 但し、私は差別や根據のないデマ流し、史實の歪曲や捏造には斷固反對であるし、情報の取捨選擇をせず自分の信じたい情報だけを信じる姿勢は絶對にいけないものだと思つてゐる。本來當然のことではあるが、一應書いておく。